少し時間が経ってしまいましたが、7月に実施した屋久島プロジェクトAの報告をしたいと思います。

 7月15日(金曜日)に体育大会、学校祭と1週間続いた「開成WEEK」が終わり、こよみではこのあと3連休でしたが、土曜日の学校説明会(結局、札幌市におけるコロナ陽性者が非常に多く、やむなく中止)の振替休日をこの3連休にくっつけて4連休とし、この休みを利用して3年ぶりにSSHに関わる屋久島プロジェクトを実施しました。6年次生10名と引率者3名で、校長である私も引率者の一人として屋久島に行ってきました。この屋久島プロジェクトは、「縄文杉」までのトレッキングを通じて、自然環境保全の重要性を再認識するとともに、環境問題に関する科学的知見を一層深めることを目的に実施しているものです。

 7月17日(日曜日)、8:00に新千歳空港に集合し、大阪伊丹空港を経由して、屋久島空港へ向かいました。伊丹空港からはプロペラ機でしたが、狭い機内は満席でした。機体は大きく揺れることもなく、窓からは明石大橋、高知の桂浜、薩摩冨士と呼ばれる開聞岳を見ることができました。

 屋久島空港に降り立ち、貸切バスで屋久島観光センターへ。ここでは、事前に予約していたトレッキングシューズとレインウエアを借り、その後、宿に入り、明日は早朝5:30出発のため、早めに就寝。

 2日目。あいにくの雨の中ではありましたが、予定通り5:30に出発し、途中でガイドの方を乗せて、6:30にトレッキングの出発点である荒川登山口に到着。これから片道約11キロ、標高差700メートル先の縄文杉までトレッキングが始まります。時間にして往復10時間とのことです。

 少し歩いたところで朝食の予定でしたが、ウォーミングアップしているときに雨が強くなり、やむなく登山口の小屋で朝食を取り、その後スタート。登山口から約7キロはトロッコの軌道内をひたすら歩いていきました。屋久島はその豊富な森林資源を利活用し、林業とともに栄えた時代がありました。トロッコですが、伐採した屋久杉を運搬するため、大正12年に安房~小杉谷間が開通したとのことです*1。1時間ほど歩くと、かつて屋久杉伐採の拠点になった小杉谷集落跡に到着しました。ここにはかつての学校の跡が残るだけで、今はその面影もありません。近くの東屋でしばし休憩。

 雨の中のトロッコ道を歩くこと2時間半、トロッコ道が終わり、「大株歩道」と言われるいわゆる山道に入っていきます。30分ほどでウィルソン株に到着。このウィルソン株は、豊臣秀吉の命令で大阪城築城(一説には京都の方向寺建立)のために伐採されたとされる樹齢3000年の屋久杉の切り株です*2。切り株の中は広さ10畳ほどの空洞になっていて、中から見上げると空洞の開口部がハートに見えるということで人気のスポットになっています。写真撮影に余念がない生徒を促し、さらに大株歩道を進んでいくと、「夫婦杉」、「大王杉」と名前の付いた有名な屋久杉が次々と現れ、ついに「縄文杉」に到着しました。

 こうして到着した縄文杉ですが、現在は、木の周りは多量の雨で土が流され根が露出し、さらに登山者が根を踏みつけて縄文杉がこれ以上痛むのを防ぐために、15mほど離れたところに木製デッキが作られ、その上からの見学になってしまいました。

 残念ながら、縄文杉には直接触れることはできませんが、木製デッキから見る縄文杉は、離れているものの、長い間この地に立ち続けていた老木としての神秘的な雰囲気を醸し出しておりました*3

 昼食の時間になっていたこともあり、雨をしのげるところを探すため、縄文杉を通り越し、高塚小屋と呼ばれる避難小屋まで行き、ここで昼食をとりました。この高塚小屋は日本百名山である宮之浦岳縦走登山の避難小屋として設置されているもので、2階建ての内部は20名ほど収容人数になっています。小屋の中で昼食をとり、ここから折り返して来た道を戻ります。雨の中でしたが、宮之浦岳に登ったと思われる方が下山してきたのを目にしました。

 3日目。いよいよ最終日。この日は、屋久島自然観館と屋久島世界遺産センターで研修を行い、その後、屋久島空港を飛び立ち、鹿児島空港、羽田空港を経由して、19:00に新千歳空港に降り立ちました。

(後編に続く)

 

*1 NPO法人屋久島森林トロッコ HPより。

*2 地方独立行政法人北海道総合研究機構林産試験場 HPより。

*3 残念ながら周りには観光客が多かった。少し前のデータですが、環境省のHPによると、平成23年度の屋久島への観光客は約27万人、そのうち縄文杉を目指す登山客は約9万人となっていました。

 

令和4年(2022年)9月16日
  校長  宮田 佳幸