目は臆病 手は鬼
皆さん、おはようございます。今日から後期が始まりました。新たな気持ちで、また、いろいろなことにチャレンジしてほしいと思います。
前期の終業式では「心の持ち方」と題して、思い通りにならないことが多いけれど、折り合いを付けながら、前に進むことが大切だというお話をしました。学校HPの校長室の窓にも、先日、「人生は敗者復活戦」と題して文章をアップしたところです。
さて、今回の後期始業式は、皆さんへの相談です。悩みではないのですが、なかなか解決しないので、アイデアが欲しいと思っています。
私の趣味は走ることです。それも長距離を走ることです。私が走りきっかけになったのはいくつかありますが、その中に一つに、10年以上も前にNHKで「激走モンブラン」という山岳レースの番組*1を見ました。主人公は鏑木毅さんで、このとき、日本人で初めて3位に入った方です。この鏑木さんに、北海道の大会でお会いすることができ、Tシャツにサインをもらいました。そこには「楽しむ勇気」と書かれていました。その後もランニングの雑誌を見ると、何度かこの言葉に出会いました。
「走ることを楽しみましょう」ということですが、自分が走っているときに全くと言っていいほど楽しめません。特に、長距離を走っている後半は苦しみが続き、何で今大会に出ているのか、早くゴールできないかと、楽しむことができない自分がいます。しかし、ゴールすると、あんなに苦しんだレースに、また出ようとする自分もいるのも確かです。苦しみ抜いた先には、やり抜いた達成感や充実感があり、再び出ようと考えてしまいますが、走っている正にその瞬間瞬間は、足の痛み、呼吸の苦しさ、止まってしまえという誘惑など、楽しんで走るという心の余裕は全くありません。
最近、この状況で頭に思い浮かべていることばがあります。「目は臆病 手は鬼」という三陸地方に古くから伝わることばです。朝日新聞の「折々のことば」*2で、次のように紹介されていました。気仙沼のある魚問屋でのこと。大賑わいの宴席の後、下げた食器の山を見てため息をついていると、一家の母がこう言ったといいます。途方もない量の片づけ仕事を前におじけづいているときも、とりあえず手を動かせば存外すんなり事はなると。
やらなければならないことが山のようにあって逃げ出したくなるときも、とりあえず手を動かせばどうにかやり切ることができるということです。さながら、私の場合は、「気持ちは臆病、脚は鬼」といったところでしょうか。
この苦しい状況で楽しむことができるのか、というのが皆さんへの相談です。哲学的な問いですが、苦しみの中に楽しさが出てくると、もっと自由に走れる気がします。
皆さんも、課題の提出が重なるなど苦しい局面をくぐり向けてきたことと思います。どのように、その苦しみを解決してきたのかをぜひ教えてください。
さあ、後期が始まりました。後期は仕上げの時期ですが、次のステップに向けての準備の期間でもあります。やらなければならないことが多いと思いますが、「目は臆病 手は鬼」のことばのとおり、生徒の皆さんには、それぞれの学びをやり向いてほしいと思います。
*1 NHK BS‐hi 「ハイビジョン特集 激走モンブラン」(2009年11月29日放送)
*2 「目は臆病 手は鬼」 朝日新聞「折々のことば」(2016年1月21日掲載)
令和5年(2023年)10月2日
校 長 宮 田 佳 幸