時間への関わり方・・・令和3年度後期始業式校長講話
皆さん、おはようございます。校長の宮田です。
短い学期間休業でしたが、今日から後期が始まりました。10月1日から新型コロナウイルス感染症に関わる制限が全面的に解除され、学校生活についても、本日から通常の状態に戻ることになりますが、感染防止対策については、引き続きしっかりと行ってください。
さて、前期終業式では、「視点を変える」という話をしましたが、今回は「時間への関わり方」という話をしたいと思います。6年生のDP生は今月末からDP取得に向けた外部試験が始まり、また、大学入試共通テストを受ける6年生についても、来年1月のテストに向けて、最終的な準備をしていくことになります。後期は、それぞれの仕上げの時期になってきます。
1日24時間という時間は誰にも平等に与えられているものです。私にも生徒の皆さんにも同じく1日は24時間です。時間は絶えず流れていきます。決して貯めておくことはできません。一つ、生徒の皆さんに質問です。あなたは時間を使っていますか?それとも時間に使われていますか?時間とどう関わっていけばよいのでしょうか?
兵庫県に安泰寺という曹洞宗のお寺があります。そこで2002年から2020年まで、ネルケ無方という住職の方がいました。ネルケはカタカナ、無方は漢字で、ありなしの無しに、向きを表す方向の方の字を書きます。ネルケ無方さんはドイツで生まれ、ベルリンの大学に在学中に休学をして日本への留学し、その留学のときに、京都や兵庫のお寺で修行されたそうです。その後ドイツに戻り大学での修士課程終了後に、再び日本を訪れ、昨年まで安泰寺で住職をされました。
ネルケ無方さんは多くの本を執筆され、その一つ「今日を死ぬことで、明日を生きる」という本の中に、次のような禅問答のようなものがあります。ある僧侶が別の僧侶に、「私と君では何が違うと思う?」と聞きます。相手は「君は24時間という時間に使われているだけ。私はその時間を使っている。そこが違う」と答えます。1日(24時間)を生きているという意味ではふたりとも同じですが、ひとりは時間に使われてばかりで、もうひとりは時間を主体的に使っているというお話です。
私たちの社会は急速にデジタル化が進んでおり、2045年にはAIが人類の知能を越えるシンギュラリティが到来するといわれています。いま大切なのは、このデジタル化に振り回されないことです。身近な例を挙げると、皆さんはスマートフォンや携帯電話に振り回されていませんか。スマホを見ていたら、こんなに時間がたってしまっていた、という経験が誰しもあると思います。
このように考えてみましょう。スマートフォンや携帯電話を「見る」「使う」という自由もありますが、「見ない」「使わない」という自由もあるのではないでしょうか。まずは、「使われている」ことに気付くこと。そして、「する」「しない」の選択肢が、自分自身にあることに気付くことです。そのように、先の禅問答、ネルケ無方さんはおしゃっています。あるモノに依存しているかどうかを判断するには、それを「しない」という選択ができるかどうかがポイントです。それは主体性にも関わってきます。
教室に貼ってある開成の学校教育目標「わたし、アナタ、min-na そのすがたがうれしい」を見てください。3つの生徒の姿「自ら課題を発見し、」「自己を肯定し」「自ら道を切り拓く」というように、生徒の皆さんが多くのことに主体的に関わることを重視しています。言葉にはなっていませんが、その中には、もちろん時間も関係しています。自分と時間の主従をしっかりと考えてほしいと思います。
さあ、後期が始まりました。それぞれの学年は1年の仕上げ、2年生、4年生は期の仕上げ、6年生は6年間の仕上げの時期になりました。生徒の皆さんには、時間を主体的に使って、後期の学びを積極的に進めてほしいと思います。
令和3年(2021年)10月4日
校 長 宮 田 佳 幸