米国留学体験記
 AFS第57期生 アメリカ派遣
 世界の人々と繋がることの素晴らしさ

 31期生 3年1組 千葉ひかり


 こんにちは。私はAFS第57期生としてアメリカ合衆国に2010年8月から約1年間留学しました。今日はこの場を借りて、私の留学体験についてお話したいと思います。

まず初めに、私が留学しようと思ったきっかけについてお話しします。私は小学2年より6年間英会話教室に通っていました。瞳の色や髪の色が違う人たちと話してみたいという感覚で始めた英会話でしたが、教科書に載っていない生の英語を学びたい、英会話を通して異文化に触れてみたいと思うようになると、どうしても日本の高校での英語教育では“受験対応”(文法中心)の授業が重要視されているため、何か物足りなさを感じていました。そんな時、新川高校が
AFSの指定校であることを知り、迷いももちろんありましたが、思い切って留学を決意しました。

 私の留学先は北米西海岸に位置し、緑豊かで美しい自然が広がるオレゴン州、ユージーン市でした。人口は13万人ですが、University of Oregon(オレゴン大学)があり、学生の街と呼ばれ、とても賑やかで明るく、人々もフレンドリーでした。私はWinston Churchill High SchoolJunior(3年生)として通いました。アメリカの高校は4年制で、日本で言うと中学3年生が高校1年生(freshmen)として高校に通うます。なので、元気いっぱいの15歳から落ち着いた態度の18歳の生徒たちが同じ学校に通い、同じ授業を受けるというのは、私にはとても刺激的でした。というのも、日本のように先輩、後輩の関係はまずなく、敬語もあまり使いません。また、私は見かけとても幼く見えたらしく、留学したての時はよく年下の女の子たちに可愛がられました。日本のようにホームクラスがなく教科ごとに教室移動があるので、その分、他学年とのつながりや友達をクラスごとに増やすことができました。敬語が苦手だった私にはとても都合がよく、年齢差関係なく、たくさん友達ができました。



西海岸だったこともあり、アジア諸国に対して関心も強く、なかでも日本は人気で多くの高校では日本語クラスがありました。私は日本語クラスのTAを担当し、多くの生徒と異文化交流をしました。(写真:日本語クラス)放課後には友達とショッピングモールに行って映画を観たり、ハロウィーンの時は一緒に”Trick or Treat”をしたり、頻繁に親友の家で遊び、夕食をごちそうになりました。アメリカンフットボール、ラクロスのゲーム観戦、日本では絶対にあり得ない、学校の体育館で行われた”Homecoming Dance Party”や、きれいなドレスを着て行った”Prom”、そのほかにも親友と行ったダンスパーティーは、私にとって一生忘れられない思い出になりました。(ドレスの写真:プロム)



留学先ではホームステイをしました。1度ファミリーチャンジを経験しましたが、2番目のファミリーとはとても仲良くでき、良い関係を築くことができました。サンフランシスコやLAのディズニーランド、ポートランド市に、カナダでウェールウォッチング体験など、本当にいろんなところに連れて行ってもらいました。ママの知り合いのおじさんに本当の銃を使ったシューティングに連れて行ってもらった時は、本当に興奮しました!


とても充実し、多くの貴重な経験をすることができた私の留学ですが、すべてうまくいったわけではありません。最初のファミリーは共働きで毎日深夜近くに帰宅し、土日関係なく家にいませんでした。相手がいないので、当然家の中で英会話する機会がなく、英語を話したくてせっかく留学したのに、家族と一言も言葉を交わせない日もありました。冷蔵庫の中は空で自分で外食しなければ、食事が全く与らない、ペットの持ってくるノミに体中かまれ、薬をつけても治らず、痒くて眠れない夜もありました。ホストマザーとのトラブルも多々あり、プライバシーの確保、自分の居場所が見つけられないなど、その他にもたくさんつらいことがあり、精神的に追い詰められた時期もありました。留学は明るく楽しいことばかりだと夢見ていた私は、現実のつらさを目の当たりにし、一度は早期帰国も頭をよぎりました。



そんな時私を支えてくれたのは、仲良くなった友達、親友のアンバー、そして私の2番目のホストファミリーでした。自分の悩みも、何もかにもすべてとにかく言葉に出してみること、たとえ正しい英語でなくても、私が真剣に悩みを打ち明けると、彼らは分かってくれました。そして、一人の友達は私の新しいホストファミリーになってくれ、親友はいつも私の心の支えになってくれました。今思うと、恥ずかしかったノミの悩みもすべて、思い切って人に相談してよかったと思っています。そうすることで周りの人々の力を借りてでも、自分がいた環境を変えることができました。人と人とのコミュニケーションで大切になることは、一生けん命伝えようとするかどうかだと思います。言わないと分かりません。たとえ、相手が日本語が話せなくても、伝えようとする、チャレンジしてみることは、きっと相手に何か伝わるはずです。そう考えると、言語の壁なんて本当に小さなものに思えてきます。

私の留学中のモットーは“下手な英語でも気にしないで、とにかくしゃべること”でした。親友が言うには、最初のころ、私の英語は本当に意味不明だったそうです。でも彼女があきらめずに私の英語を直してくれたおかげで、それなりに話せるようになりました。たまに素っ頓狂なことを言って、彼女が1日中その間違いを面白がって笑うこともありました。アメリカでは、私が日本でやっていたような文法勉強はほとんどしませんでした。ほとんど自分の英語の間違いから学びました。友達が直してくれると、自然と忘れずにすみ、友達が教えてくれるフレーズは使用頻度が多いため自然に定着しました。映画もたくさん観て、分からないセリフがあると、勝手に止めてどういう意味がその都度尋ねました。何よりも、とにかく尋ねること、会話することが一番の英語取得の近道だと改めて実感しました。



留学を通して語学力はもちろんですが、発音やイントネーションの違いで、ある程度その人の出身が分かるようになりました。また、様々な文化が混じり合う多民族国家のアメリカで、互いの文化を理解し合うことの大切さを実感しました。自国についても、外側から日本をみることができ、予想以上に日本が他国に受け入れられていることを知ることができ、日本人であることを誇りに思いました。AFSが掲げている異文化体験モットーに” It’s not right, it’s not wrong. It’s just different.”とあります。私はそれが素晴らしい言葉だと思います。今後さらに国際化が進む日本でも、この言葉のように、異文化に対してオープンな姿勢で臨んで行けたらと思います。

また、1年間家族、日本の友達と離れ生活することはとても容易なものではありませんでしたが、それが私を精神的に大きく成長させました。離れてから改めて感じる両親の温かい愛情、手紙や写真、修学旅行のお土産をわざわざ送ってきてくれた日本の友達、毎月必ず手紙をくれた日本の親友、支えてくれる友達がいるというありがたさ、私は離れていても日本にいるたくさんの人に支えられて、この留学の無事に終えることができました。また、留学前から相談に乗ってくれたり、留学後も進路について一緒に考えてくださった先生方、とくに藤原先生には本当に感謝しています。

現在在学中の新川生の皆さん、新川高校に入学を考えている皆さん、英語をペラペラ話せる人をみてかっこいいと思った事はありませんか?世界に友達がいるってどんな感じがするか味わってみたくないですか?今の時代、facebookなどで世界とつながる機会はどこにでもあるんです。英語がそれなりにできれば、どこの国の人とでも話せます。もしちょっとでも英語に興味があるなら、それが世界へつながるチャンスになるかも知れません。また、英語に限られたことではなく、どんなことにも自分の限界を決めずあきらめないで挑戦し続けることが、“なりたい自分”になることが出来る近道だと思います。