12月24日(火)。

  この日は、今年度、6学年がそろう最後となった日です。コロナ禍の中、声を出して歌をうたうことすら憚れましたが、やっと全校生徒が自ら大きな声で校歌を歌うことができるようになりました。それはこれから巣立つ鳥のように、6年生をたたえる素晴らしい歌声でした。

皆さんご存じのとおり、本校の校歌の作詞は、昨年お亡くなりになりました谷川俊太郎さんです。多くの詩を残されていますが、実は学校の校歌の作詞も数多くお作りになっておられ、その中の一つに本校が含まれていることに対しまして、大変名誉なことだと思っております。お亡くなりになったことが報道に流れると、報道機関が谷川さん直筆の校歌を撮影しに来ておりました。

開成高校の10周年や20周年記念誌には、校歌の制定のことが記されています。10周年記念誌には「従来の校歌のように単に周囲の自然環境や付近の名所旧跡を織り込むのではなく、人間として生きるべき道や教育の基本姿勢を盛り込みつつ、北国の若い高校生がうたうにふさわしい、新しい形式のもの」を作ってもらうため、札幌開成高校初代校長坂井一郎先生が昭和391月に上京して直接谷川さんに作詞を依頼しました。翌月には谷川さんが来校し、生徒代表と話し合うなど、学校のカラーをつかむのに苦心されていた。」と書かれております。

谷川さんが来校したときの様子は20周年記念誌に「風来坊のような一人の青年が事務室に現れた。若いといえば若いが流行先端のジーンズでナウなこの青年が、校長の遠大な理想に答えてくれるのだろうかと私は不安だった。」と当時の事務職員の方の文章が書かれています。

また、校歌は郵便で学校に送られてきたとこの20周年記念誌に書かれており、校訓を巻頭に、永遠の真理を求める若人を新鮮に歌い上げたこの校歌は、世界に羽ばたく開成の未来を毅然と象徴し、谷川さんは坂井校長の意思を見事に昇華し、不滅の校歌を作ってくれた、と記されています。

平成24年、札幌開成高校が開校50年となり、50周年を祝う祝賀会で、私は初めて谷川さんにお目にかかりました。この時には、すでに中等教育学校に移行することが決定しておりましたので、校歌の最後のフレーズ「開成高校」を「開成札幌」にすることについて、谷川さん自ら提案していたのが印象的でした。

谷川さんがお亡くなりになった後、札幌開成高校OBで本校の澤谷先生と、中央区にある谷川さん公認のカフェ「俊カフェ」に行ってきました。オーナーの古川奈央さんも札幌開成高校のOGで、店内には、谷川さんの多くの書籍に交じって、「山あり空あり大地あり」と書かれた色紙が置かれており、谷川さんの空間の中に、本校が存在していることをうれしく思いました。

高校から中等教育学校に変わり、その学び方も大きく変わりましたが、自由な校風は中等教育学校になった現在も健在です。見事に坂井校長先生が制定した校訓「山あり 空あり 大地あり 永遠を知れ」が校歌となり、中等教育学校においても受け継がれています。

開成の校歌は、私が通った学校やこれまで勤務した学校の中で一番歌った校歌となっています。その歌詞はこの先もずっと心の中に刻み込まれていくものと思っています。

 

  山あり 空あり 大地あり

無限の問いにこたえつつ

今日をいかに生くべきか

心々に理想は高く

我らともに学ぶ 開成札幌

 

街あり 国あり 世界あり

  歴史の教えたずねつつ

明日をいかに生くべきか

 いつかはばたくその日を願い

  我らともに育つ 開成札幌

 

海あり 風あり 我等あり

  若さの悩み抱きつつ

我等いかに生くべきか

時に孤独に吹雪に向かい

今日もともに愛す 開成札幌

  ※谷川俊太郎さんは令和61113日にお亡くなりになりました。これまでの学校に対する過分なるご厚情に対しまして深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

令和7年(2025年)127

  校 長  宮 田 佳 幸